3.生徒会室へ

 さくら色 

 その日の放課後、私は生徒会室に駆け込んだ。
 竹居の事情を知るのは怖かったけれど、学級委員の相方として、やはり知っておいた方がいいだろうという判断をした。野口くんにばかりフォローさせるわけにもいかない。
 入学式の翌日に学級委員の集まりがあり、私はそこで、二年の先輩から生徒会書記にスカウトされていた。特に断る理由もなく引き受けたので、私は一応、生徒会のメンバーでもあるのだ。
「冴澤(さえざわ)先輩、あの、三年生の名簿が見たいんですけど」
 私をスカウトしてくれた美人の先輩に声をかける。
「名簿? なんで?」
 机に向かって書類をファイルに綴じていた冴澤先輩が、つややかな黒髪を揺らして振り返る。
「ちょっと、あの、人を捜したくて」
「そう。それなら紙じゃなくてデータの方がいいね」
 冴澤先輩はそれ以上詮索するでもなく、向かいでノートパソコンを開いていた人に声をかけた。
「ヒロキ」
「ん」
 パソコンから目をあげて、ヒロキと呼ばれた人が私をみた。私の名札を見た。
「ああ、今日のガラス騒動のクラスの。沢野さん? 学級委員?」
 うわ、情報早い。生徒会ってすごい。
 後から思えば、生徒会と言うよりはヒロキ先輩の情報網がすごかっただけなのだが、そのときの私はそう思った。
「沢野マコちゃん。書記にスカウトした子。ヒロキのデータ使わせてあげて」
「カオルの下とはね。マコちゃん、こっちおいで」
 肩をすくめて、ヒロキ先輩が私を手招きした。
「誰を探してるの?」
「えっと、三年生の、竹居さんという方で」
 ヒロキ先輩は自分の隣のパイプ椅子を引き、そこに座るように促した。そんなに長居する気はなかったけれど、ありがたく座らせてもらう。
「タケイは何人かいるけど。タケは植物の竹? イはどんな字?」
「植物の竹に、居座るの居、です」
 私の答えに、ヒロキ先輩の指がパチパチとキーボードを叩く。
 三年生の名簿データに「竹居」で検索をかけた。
「いないねぇ。井戸の井のほうならいるけど。俺も知らないし」
「……そうですか」
 そう言ったきり、私は絶句した。
 男子の会話を思い出す。竹居のお姉さんは二つ上。
 私立にいってんの? まぁそんなもん。
 ひっかかったのはそこだった。
 こう言うのも何だが、竹居の家は裕福ではない。むしろ貧乏に近い。竹居の家に行ったことはないが、竹居の家にはゲーム機がなにもない、と聞いたことがある。小学校の頃に着ていた私服だって、なんだかいつも安そうなのばっかりだった。だから、お姉さんが私立なんてあり得ない。
 だけど、成績が優秀だったら? 奨学金で私立、ありえるか?
「んー、ちょっと待ってね。昔の名簿もみてみるから」
 ヒロキ先輩が他のファイルを開く。
「竹居、竹居」
 呟きながら、再び検索をかける。
「お、ひとりヒット。竹居舞さん。二年前までは在籍してるね。でも今はいない。転校かも」
 舞さん。記憶があやふやだけど、竹居のお姉さんはそんな名前だったと思う。
 だから、たぶん、舞さんが竹居のお姉さんだ。
 転校?
 竹居の両親は離婚したか? していない。
 転校ってありえるのか? 当時中学一年生の舞さんが、ひとりで? なんで?
 「今はいない」っていうヒロキ先輩の言葉が頭の中でリフレインする。
 今はいない。今はいない。二年前まではいた。
 竹居が泣いた。
 その意味は。
「……ありがとう、ございました」
 たどりついた答え。
 ヒロキ先輩に頭を下げた瞬間、今日一日こらえていたものがどっとあふれた。
 ぼたぼたとスカートの上に涙がこぼれた。
 無言で泣き出した私に、ヒロキ先輩がハンカチを貸してくれた。
「すみません」
 竹居。
 私は何もしてあげられないよ。
 その悲しみを、どうすることもできないよ。
 その日、生徒会室で、私は泣きに泣いた。
 
 
 竹居はその翌日から登校していた。男子も女子も引き気味だったが、野口くんが普段通り接してくれたことで、竹居はクラスから孤立せずにすんだ。竹居が改めて個別に謝ってまわったらしく、一週間もすれば、教室はいつも通りになった。
 帰りのホームルームで、おじいちゃん先生が「学級委員二人は職員室に来るように」と告げた。
 職員室に行ったら、生徒指導室へ連れて行かれた。
 おじいちゃん先生を前に、私と竹居は並んで座った。
「竹居くん。少しは落ち着きましたか」
 おじいちゃん先生が、茶飲み話でもするかのように、ゆったりと言った。
「はい」
 竹居は椅子にまっすぐ座っていた。膝に手を置いて、きっちり頭を下げた。
「先週は、ご迷惑をおかけしました」
 そのやりとりをみて、先生が言っていた「きつく叱っておいた」はクラスの不満を抑えるための嘘だったんだなとピンときた。
「クラスもだいぶ落ち着いているようですね。沢野さんの迅速な対処のおかげです」
 私は小さく「いいえ」と呟く。
「今回は、幸い怪我人もなく済みましたけれどね。竹居くん、椅子を投げるのは非常に危険です。特にガラスに向けて投げるのはね」
 先生は、前回の授業を復習するかのように、柔らかくそう言った。
 竹居が再度頭を下げる。
「竹居くん。君は、今の君の年齢にしては、充分大人です。今回、君が自分からクラスのみんなに謝ったのも、大人の対応だったと思います。君が反省していることも十分承知しています。ですが」
 先生は言葉を切って、私と竹居を交互に見た。
「ですが、今回のようなことは、また起こる可能性がありますね。竹居くんが生きていく上で、お姉さんのお話が出ることは、避けられません。ご家族の話ですから、当然、何度も、聞かれることです」
「はい」
 竹居がうつむく。
 反対に私は顔を上げた。
 先生。
 先生、それ以上言わないであげてください。
 竹居は、竹居は悪くないです。
 先生の言うこともわかります。でもこれ以上竹居を傷つけないでください。
 強く強くそう思ったのに、私は何も言えなかった。
 ただ先生をまっすぐにみて、涙がこぼれないようにするのが精一杯だった。
 だって泣いたらだめだ。
 竹居が泣かないのに、他人の私が泣いちゃいけない。
「ですから、竹居くん。大変だとは思いますが、一度きちんとお姉さんと向き合うことを勧めます。今回のようなことを繰り返さないために、嘘をつき通すか、本当のことを言うか、お姉さんの話が出たらすぐにその場を立ち去るか、あらかじめ解決方法を決めておくことです」
 おじいちゃん先生はそう言ってにこやかに微笑んだ。
「今回の件は、君のご両親には言いません。そのかわり、次に同じ状況になったとき、どうするか、きちんと決めておくと約束してください」
「はい」
 竹居がうつむいて返事をする。
「私への報告はいりません。君の決めた解決方法は沢野さんに伝えてください。私より沢野さんの方がフォローできるでしょう。沢野さんと一緒に決めるのもいいでしょうしね」
 先生が私を見た。
「沢野さんには、面倒をかけますが。ここはひとつ、頼みますね」
 頼みますね、と、言われても。
 竹居の事情を、私は竹居本人から何も聞いていない。
 自信がない。
「……私に、できますか」
 泣かずになんとか、それだけ聞いた。先生は迷いなく頷いた。
「沢野さんなら安心です。君たちふたりはクラスの面倒をよくみてくれるいいコンビだと、小学校の先生もおっしゃっていましたよ」
 コンビ。
 それは、竹居と私の関係を表すのに、しっくりくる表現だった。
 わかりましたという意味を込めて、私は頭を下げた。
 そうして先生との面談は終わった。
 
 
 帰りは、竹居と一緒に帰ることになった。
 同じ小学校だし、方向は同じだ。
 竹居も私も、黙々と歩く。
 竹居は、果たして私に事情を言う気があるのか。
 帰り道の途中、竹居が私をコンビニに引っ張り込んだ。
「ちょっと!」
 コンビニで買い物してるような状況か。
「いいから」
 竹居が私の制服の袖をつかんでぐいぐい引っ張る。
「制服伸びるでしょうがっ。バカっ」
「いいから黙ってろ」
 竹居が私を引っ張っていったのは雑誌コーナーだった。
 成人コーナーのすぐ隣にある雑誌を何冊かぱらぱらめくった。
 どれも水着の女の子が表紙を飾っている雑誌だ。そういう雑誌を平然と手に取られて、こっちが焦る。
「ちょっと! セクハラやめてよ!」
「セクハラじゃねぇし」
 そのなかの一冊を選んで、竹居が会計した。
 先生にコンビって言われて、なんとなく竹居をフォローできるかもと思った、その自信があっさり崩れていく。
 先生。
 こいつは、私の手に負える気がしません。
 コンビニを出て、しばらく歩いたところで、竹居が唐突に言った。
「俺んちとお前んち、どっちがいい? つーか、お前んとこって今、親いる?」
「は?」
「親兄弟が家にいるかって聞いてんの」
「……弟がもう帰ってると思うけど。母親もいると思うけど」
「じゃぁ俺んちな」
 そう言って竹居はさっさと歩き出す。
「あんたの家に来いってこと? やだよ。誰もいないんでしょ?」
 だってこの体格差だ。襲われたら絶対抵抗できない。
 顔だけ振り返った竹居は、ふん、と鼻で笑った。思い切り馬鹿にしたように、
「お前なんか誰が襲うか」
 あ、そう。
 そういう態度でくるわけ。
 頭の芯がすっと冷えた。
 竹居の背中に向かって思い切り自分のカバンを投げつけた。
「私がっ! 私がどれだけあんたを心配したと思ってんの!?」
 カバンは竹居の腰に当たって地面に落ちた。
「野口くんだって椅子投げられたのにあんたを庇って! 佐藤くんだって謝って!」
 カバンを拾おうとかがんだ竹居の肩を思い切り蹴飛ばした。竹居はよろめいただけで尻もちすらつかなかった。
 冷静にどこかで、私って手も足も出るタイプなんだなと思っていた。
 言っておくが、土足で蹴飛ばしたのなんかこいつが初めてだ。
「あんたがお姉さんのことでっ」
 そこまで言ったら涙がこぼれた。
「お、お姉さんのことでっ」
 悲しんでるその気持ち、想像するだけで、ほんとは全然わかってあげられない。
 だけど、私だって弟がいるから。
 ある日突然、弟が死んじゃったら、って思うと、泣けて泣けてしょうがないから。
 なのに。
 コンビニなんか行ってる場合か。水着の雑誌買ってる場合か。
「竹居のバカ! アホ!」
 泣きながら叫んだら、竹居が立ち上がってため息をついた。
 ふたつのカバンを片手で持って、蹴飛ばされた靴の跡を手ではたいた。
「落ち着け。沢野」
「落ち着けるかっ! バカっ」
「いいから落ち着け。お前は誤解してる。ちゃんと説明すっから、うちに来い。お前が泣くようなことは何もない」
「なによっ」
 なによ。悟った顔して。
 なんなのよ。
 お姉さんが亡くなって、泣くようなことはないってなんなのよ。
「担任が言ってたろ。沢野と一緒に解決方法を決めろって。だからおとなしくうちに来い。俺はお前には何もしない。その気もない。帰りが遅くなったら家まで送る」
「ああっそうっ」
「だから泣くな。後で後悔すんぞ」
「竹居のバカっ」
「あー、わかったから。歩けアホ」
 軽く、ほんとに軽く、頭をはたかれた。
 コンビ、というフレーズが頭の中を駆けめぐった。



 さくら色 
2016-01-08 | Posted in さくら色Comments Closed 

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